魔法通貨で生きる 〜価値の再考〜

魔法を中心にまわる日常と非日常

魔法つかいの原点。なぜ『マジシャン』ではなく『魔法つかい』なのか!?

f:id:magicaldreamer:20180707005403j:plain

 

魔法の瞬間。
 
それはすべての人が「ただの人」になる瞬間。
 
人種・宗教・国籍・性別・肩書きなどあらゆる壁が溶けてしまい、その場を笑顔で共有できる。
 
魔法を通して、そうあってほしい世の中が見えてくる。

 

 
 
これは2004年のデビュー当時から一貫してホームページに掲載し続けてきたビジョンですが、実は5歳くらいのときに心に刻まれた原体験が元になっています。
 
 

魔法つかいになりたいと思った日 

 

4歳か5歳のころアメリカに住んでいた時のことです。
 
 
ある夕方、屋外でディズニー映画『ファンタジア』を見るイベントが催されていました。日本とは違っていろいろな人種、宗教、国籍を持った人が集まっていたせいか、人々が自然にそれぞれのグループごとに固まっていくつもの壁ができていました。
 
 
決して険悪な雰囲気ではないけれど、なんとなく他のグループとは必要以上に近づかないようにしている。そして子どもがあまり離れないように気を配っていました。
 
 
大人になり、自分にも子供ができた今考えると、ある意味リスク回避のためには当たり前のこと。しかし、当時のぼくは大人の事情などこれっぽっちもわからない子どもなので、その状況に違和感を感じて妙な不快感を抱きました。
 
 
大人たちが創り出している見えない壁。どこにも線なんてないのに、なぜかハッキリと存在する境界線。そんな存在がとにかく嫌だったという記憶があるのです。

 

魔法の瞬間

 

しかし、その思いが解消される出来事が起こりました。
 
 
映画の中でミッキーが魔法をつかうシーンが映し出されると、いたるところで子どもたちが「魔法つかいごっこ」を始めたのです。言葉はわかりませんでしたが、全身から溢れる子どもたち特有の言語で一目瞭然でした。「ぼくが魔法をかけたら君は勝手に踊りだしちゃうんだよ!」「ぼくが魔法をかけたら。。。」魔法に興奮した子どもたちの魔法ごっこに壁はありませんでした。次第に子どもたちの笑顔が入り乱れました。
 
 
その様子を見ていた大人たちは、「どうやら今日は大丈夫そうね」と安心したのか、会場の中にたくさん存在していた境界が溶けるように消えていったのです。
 
 
そのとき、「魔法を見ると、大人も子どももみんなひとつになっちゃうんだ、スゴい!」そう思ったのが今の自分のルーツです。それが人生で初めて「魔法」を体感した瞬間です。
 
 
「映画の中でどんな魔法が起こったか」ということよりも、「魔法の後にその場がひとつになってしまったこと」こそが本当の魔法に思えました。
 
 
当時はマジシャンという職業なんて知りませんので、マジシャンになりたいなんていう思いは頭の片隅にもありませんでした。たったひとつの小さな魔法が使えるだけでも良いので、ほんものの魔法つかいになりたいと本気で思ったのです。

 

その後、日本に帰国してからはピアノを極めたら魔法つかいになれるかな?バスケを極めたらマジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダンみたいな魔法つかいになれるかな?空手を極めて波動拳が出るようになったら魔法つかいになれるかな?ハンドボールなら、、、インラインスケートなら、、、と、色々なことを試しては諦め、「飽きっぽい人代表」みたいなレッテルを貼られる時期を過ごします。

 

 

そして、高校1年生の時に出会ったのがマジックでした。身体に電気が走りました。

 

 

「これだ。これこそ魔法つかいと名乗るのにふさわしい職業だ!」

 

 

魔法つかいと名乗るためにやっと見つけた手段こそ、マジックだったのです。

 

 

そんなわけで、今の自分がマジックをやめて料理の道に精進するとしても、やっぱり「魔法つかい」と名乗ることには変わりありません。

 

 

指先でやっていることはマジックだろう?そんなことはどうでもいいんです。

 

 

魔法の瞬間、その場にいる人の心の壁が溶けてしまい、みんなが「ただの人になる」

 

 

僕にとっての魔法とは、指先で起きる小さな現象ではなく、その先にある心の変化、空気の変化。

 

だから、どんな職業であれ、トップにいる人たちはみんな魔法つかいだと思っています。

 

 

魔法つかい

http://www.magicaldreamer.com